TRADITION
日本の伝統から学ぶ
”観ること”とは
日本には漢字というものがあります。
日本に漢字が伝来したのは弥生時代と言われているそう。
伝来した漢字は次第に日本独自に発展していき、現在私たちが使っている漢字の形になりました。
漢字の成り立ちや意味を知ると、とても奥が深いのです。
今回は数ある漢字の中から「観」という字を取り上げてみます。
観は訓読みで「みる」といいます。
普段私たちは「見る」こちらの漢字をよく使うと思います。
「見」という漢字の成り立ちは
(目+儿)。「人の目+人」の象形から成り立っています。
では「観」の場合はどうでしょう。
旧字は「觀」と書き、
漢字の左側の部分は雚(かん)といい、二羽のコウノトリの姿をあらわした漢字なんだそうです。
つまり「観」は
(雚+見)。「コウノトリ+人の目+人」の象形から、成り立った漢字。
コウノトリは古くから神聖な存在として知られています。
赤ん坊が生まれる時に“コウノトリが赤ちゃんを運んできてくれた”なんていいますものね。
そんな神聖な存在をよくみることから、
「観」という漢字の意味は
「よくみること」「本質を悟ること」だそう。
なんとも奥が深い。
兵法(剣術)を極めた宮本武蔵の著した兵法書「五輪の書」の中でも
「見」と「観」の違いについて触れています。
観も見も「みる」であるが、同じみるでも、そのみ方が異なる。
「見」というのは目もとで見ることであり
「観」というのは心で見ることだ。
見の目で見ていては目先しか見えなくなる。
観の目をとぎすましてこそ、遠いところがみえ。全体がみえ。未来がみえてくるのだと。
そして宮本武蔵は繰り返しこんなことも言っています。
この観の目はすぐに身につくものではないと。
朝鍛夕錬の修業をすること。訓練すること。
どんなことがあってもこの目つきがかわらないよう十分に訓練するべきだと。
深い、、、深すぎます。
観の目で物事を見ないと本質を知ることはできないのか。
この姿勢は哲学も、きっと人生すべてにおいても同じだね。
目先のことにとらわれがちな私には
訓練が足りない、か。
筆者はまだまだ
哲学や先人が残してくれたサムライスピリットを学ぶ必要がありそうです。