永遠なる探究者
デリア・ステインベルグ・グスマン著・天利なつき訳
哲学者について語らずに、哲学を語ることはできない。誰も、それらの思想を活かすことのできる人について語らずに、思想の世界について言及することはできない。なので、もし哲学者つまり知恵を愛する者の基本的な性格を際立たせなければならないなら、私たちはそのような人は永遠の探究者としての素質があると語るであろう。彼は最終的に知恵にたどり着いた時にのみ探究をやめるであろう、自己を征するものである。そして私たちは、たとえその時が来ようと、彼が他のどの不可解で到達し難い事象を探し求めにいくのかわからない。
哲学者は草原や森林を、山々の上や生命の川沿いを、特別な手がかりをたどって駆けめぐる追跡犬のような存在である。彼はすべての事柄についての真の知識を探し求めている。彼は自分自身を探し求めている。彼は真実を探し求めている。つまり、彼は世界の源としての神を探し求めているのだ。
しかしなぜ彼の道のりはとても長くそして困難なのであろうか。真実は私たちの生きる世界の中にはみつけられないのであろうか。神はここではみられないのか。それらの未知の領域の向こう側に探しものをみつけに行くために、顕現している私たちの生活、歴史的な環境、私たちの置かれた境遇といったような、果てしのない砂漠を横断する必要があるのであろうか。
そんなことはない。
私たちは神や真実はこの世界に、私たちの居る環境の中に、私たちの功績や問題の中にみつけることができると信じている。しかしそれらは分厚い泥の層で覆われている。それらは異様な外観として隠されており、多くの場合において嘘は真実と入れ替わってしまうほどであり、誰もそれらを取り去ることができないようにみえる。そして内面の空虚さや不信仰が、人間の精神の自然な衝動ととって代わるのである。
知恵を求める哲学者の能力は、今この場所に、誤りや無知の中に、暗闇や落とし穴の中に、勇敢な人類の努力で発見されることを待ち望んでいる隠された真実をみつけることである。彼らが全力で輝けるように。
探し求めることは必然である。暗闇の中に光を見出すわずかな機会も、悲しみの中にさえほんの些細な幸せをみつけるわずかな機会も、すべての混乱の中にあるほんのひと握りの真実も見逃すことなく、たゆまず探し求めることは。
大切なのは目的である。それは感覚や知性を目的に達するための信頼できる案内役として用いるということだ。哲学者とは、探し求めるものが何のかを、またそれにどう達するのかを知る者のことである。