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容易さと難しさとは何か

デリア・ステインベルグ・グスマン著・天利なつき訳

私たちは通常簡単なことや習得したことに興味を持つ。しかしながら、セネカはこう主張する「物事が難しいから私達が挑戦しないのではなく、私達が挑戦しないから物事が難しいのだ」。成長するために、私たちは未知の世界に立ち向かわなければならない。

容易さそのものは存在しない。もしも私たちがおのおのに難しいと考えるものは何かと問えば、皆違う答えを出すだろう。物事には私たちが知っていてできることと、私たちが知らなくてできないことがある。

<理解したものは容易である>

私たちがすでに学んだことは簡単である、なぜならそれは私たちが身につけ気楽に行うことのできることだから。

学び、理解されたことは容易で自信のある行いを通じて人生に表現される。

 

<理解していないことは難しい>

同様に、難しさそのものは存在しない。それは人それぞれであり、個人の徐々に蓄積された知識によるものだからだ。私たちの知らないこと真新しいことは、難しさの仮面をかぶっている。

おそらくある状況を回避するためであろう、私たちは何かに「難しい」というラベルを貼ることを何年もつづけてきた。しかし、その何かは繰り返され恐れられてきたものなので、実際そこまで未知で新しいものではない。これは、その何かが真の意味で向き合い経験されていないということを意味する。

<困難は人生の一部である>

人生に多くの困難が訪れるのは自然なことである。私たちは皆学び、新しい知識を得て、私たちの魂が目覚め知恵に心を開くのを助けるためにこの世界に来る。もしもどこかの段階ですべてが簡単になったと感じたならば、私たちはそれを警告ととらえるべきである。長い間学びの段階で動けなくなっているか、上り坂にある次のステップを認識することさえできていないということだから。

 

<困難は克服する必要のあるものだ>

困難とは、精神的な進化の現段階において、私たちに立ちはだかるものであり、私たちの個人的な成長において現時点で獲得する必要のあるものである。それは私たちには難問にみえるが、経験が私たちの意識に到達するのを確実にするため、決して私たちを表面的にかするだけにならぬようにするため欠くことのできない訓練である。

容易なことはすでに私のものである。 難しきことは私が発達させるべきものである。

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