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神話をより深く理解する ―ミルチャ・エリアーデの功績―

ナタリヤ・ペトレヴィチ著・長谷川涼子訳

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神話は、今日では現実と真逆の存在、実際の生活とは無関係のおとぎ話とされることもあります。この考えは古代の世界にそのルーツを持ち、長いこと存在してきました。とりわけ19世紀には、科学や哲学に比べ、神話は原始的で古臭いものであるという言い方が大々的になされたのです。

しかし20世紀になり、文化人類学者を始めとする研究者たちの間に新たな見解が起こりました。神話は、「人類に思想が生まれる前段階の産物」という従来の見方に加え、「世界を理解するのに有意義で価値のあるもの」という観点からも研究されるようになったのです。これまでの文字通りの解釈の代わりに、寓話的・象徴的な意味での神話研究がなされるようになりました。人間が象徴的な思考を取り戻すにつれ、神話は再び重要性を持つに至ったのです。

神話の深い意味を明らかにした功績において、特筆されるべきはミルチャ・エリアーデです。彼はルーマニア出身の宗教学者・歴史哲学者であり、シカゴ大学の教授でした。エリアーデは、神話を複雑な文化的現実ととらえており、さまざまな観点からの考察・解釈が可能であるとしていました。その一方、彼は神話を「現実がどのように現れたかという聖なる物語を口伝したもの」と定義づけています。この現実とは、全て(宇宙)であり、また何か特定のもの(島、生物種、団体など)である場合もありました。

エリアーデは、時間と空間を読み解くのに「聖性」と「俗性」という二面性を用いました。このうち俗性の部分は普通の日常生活に基づき、それに対して聖性の部分は物事の実存に基づいており、これは、物事の本質、言い換えれば物事の理由と目的とを内包しています。神話によって私たちは、聖性に気づき、聖性を再現することが可能となるのです。

エリアーデは、聖性の備える重要な性質をもう一つ明らかにしています。聖性とは、意識の構造の中の要素であり、意識の進化の中の一段階ではない、ということです。言い換えれば、聖性を否定した時、私たちは聖性の本質的な部分に対する意識を自ら拒否し、結果として聖性は脱線して、多くは有害な方向や無益な方向へと転がってゆくのです。

さらに詳細な神話の定義において、エリアーデは、神話中に「聖性の突然の躍進」が起こり、これによって「世界が確立され、今日この在り方であるよう定められる」と主張しています。神話は現実の構成と無関係である物語と異なる。これらの物語は現実の一部にしか関連性がない。例えばいくばくかの動物たちの解剖学的・生理的特徴がいかに現れたかという物語だ。世界の創造を語るのが神話であり、その中で人間は自分自身を見出します。それに対し、物語は人間の人生の状況にはまず影響しません。加えて、物語が時や場所を選ばず語られうるのに対し、神話は特定の時と、師匠から弟子への伝達が必要になります。これにより、神話の重要性、及び秘密を明らかにする機能が強調されるのです。

では、この「秘密」とは何なのでしょうか。神話はラテン語で言う ”illo tempore”(その時点)、つまり一切の始まりの時、万物が想起され創造された時へと私たちをいざないます。神話を理解すると、万物の起源の秘密(起源のありかと、そこへの道すじ)が分かります。神話は万物の始まりを描くことで、その存在の理由も描きます。従って、その理由に立ち返る道すじがもたらされ、万物の目的が理解しやすくなるのです。その結果、修正と発展が可能になり、また革新につながります。神話の中に、人生の展開にまつわる原型パターンがあるのです。

神話はまた、社会の信条やルールを表現し、明文化します。神話は神的存在の行いを語り、人間のふるまいの手本となります。神話は、「あらゆる人間のしきたり、あらゆる人間の重要行為――例えば、食事や結婚、労働や教育、芸術や知恵――にとっての模範」を明らかにします。ブロニスワフ・マリノフスキによれば、神話は「道徳を保護し、力づけるものである。すなわち、儀式の効率を保証し、人間の指導のための実践的なルールを内に宿している。つまり神話とは、人類文明に欠かせない要素である」ということなのです。

神話を学び、理解することは、人類についてのより深い知識を得ることにつながります。そしてそれは、エリアーデの言う「新しいヒューマニズム」を世界規模でもたらすでしょう。

原文:
https://library.acropolis.org/a-deeper-understanding-of-myth-the-contribution-of-mircea-eliade/

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