ある追放の物語
ユリウス・カエサルの暗殺およびローマ帝国の樹立から百年近く経った、西暦65年のことでした。ムソニウス・ルフスは当時随一のストア派哲学者であり、「ローマのソクラテス」として知られていましたが、ネロ帝に対する陰謀に関わったかどで、ギャロス島という荒れ果てた小島へ追放されました。

ギャロス島は、人間が住むには過酷な地とされていました。その十五年前には、ギャロス島への謀反人追放を当時の皇帝ティベリウスが拒否しています。ティベリウス帝は特に慈悲深い人物というわけではありませんでしたが、その彼にとってもギャロス島は厳しく非文化的な場所であったのです。

にもかかわらず、ムソニウスは追放を嘆く代わりに、荒れたギャロス島に農場を設立しました。のみならず、彼とともに学ぼうと島を訪れた哲学者のためのコミュニティを組織しました。彼は、荒れた島を稀有な哲学の中心地へと作り変えたのです。

ムソニウスは、障害をチャンスに変えるためのストア派哲学の訓練を行いました。

追放について、彼は次のように語っています。「追放されたからというのは、勇気や正義を手放す理由には決してならない。また、名誉ある人間としての栄光や利益のもととなる、自制心やその他どんな美徳も、追放によって否定されることはない」。言い換えれば、外部の状況がどうであれ、私たちが内なる力を高め、鍛えるのを邪魔することはできないのです。

のちに、ムソニウスは著名なストア派哲学者エピクテトスの師になりました。エピクテトスは師の後にならい、障害をチャンスに変える教えを残しています。「私たちの人生におけるあらゆる障害は、自分の内面に目を向け、眠っていた力を呼び起こすチャンスを与えてくれる。私たちの耐えている試練は私たちに力をもたらし得るし、そうでなければならない」

ストア派哲学者について
ここで、ストア派哲学者たちとその教えについて、少し説明しておきましょう。

ストア派とは、伝統的な哲学学校、つまり生き方としての哲学を教える学校でした。ストア派は、ソクラテスの死後ギリシアに勃興したいくつかの哲学学校のひとつでした。それらの学校は教義面でみな異なっていたものの、ある共通した哲学的視点を持っていました。彼らにとって哲学とは、偉大な思想を理論化したり頭に入れたりすることに留まりませんでした。むしろ、知識と生き方を結びつけることが哲学だったのです。おのおのの哲学者は、定められた方法で生活すること・定められた方針に従うこと・弟子の過ちを正し、教義の生きた見本となる師匠のもとで学ぶことを求められていました。

共和制ローマ末期の乱れた世相の中で市民の人気を勝ち得たストア派は、ローマ帝国成立から最初の百年で頂点に達します。この頃の帝国は、最初期の何人かの皇帝たちによる圧政や狂気に苦しめられていました。ストア派はこの時代において、圧政への抵抗・質素な生活の代名詞だったのです。のちに、ストア派は貴族階級における教育に無くてはならない存在となりました。ストア派の教えを実践した最後の著名人は哲人皇帝マルクス・アウレリウスであり、彼の死とともにストア派は歴史のページからほとんど姿を消す形になりました。それでもストア派の影響力は残り続け、その後の歴史を通じて新たなストア派継承者をいくたりか生み出し、現在に至っています。

障害とチャンス
障害とチャンスについて、ストア派は何を教えていたのでしょうか?

私たちの時代の特徴として、チャンスといえば、よくベンチャービジネスやキャリア形成に関わる文脈で語られます。しかしストア派におけるチャンスとは、これと全く異なるものでした。 ビジネスと世俗的成功は、ストア派哲学においては優先順位の低いものだと言っても過言ではなかったのです。ストア派哲学者たちは、人間の幸せと充実において最も重要なことは物質的成功でなく、美徳を伸ばすことだと信じていました。ラテン語のvirtutemを語源とするこの単語(英:virtue=美徳)は、優れた人間性を意味します。今日、私たちが気にしがちなのは長所です。いっぽうストア派哲学者たちは、最高のチャンスとは自分の美徳を育ててくれるものであると信じていました。

このことが意味するのは、私たちの人生をとりまく状況、つまりお金持ちか貧しいか・健康か病気か・有名か無名か・成功しているかいないか等々、人生にまつわるこうした要素はどれも、私たちの道徳心や精神の健康ほど重要ではないということです。ストア派哲学者たちは、こうした要素を「些事」(アディアフォラ=善でも、悪でもなく、命じられてもおらず、禁じられてもいないこと)と呼び、これを受け入れるための簡単な方法を述べています。自分で完全に制御できない要素は、些事として扱うべきだ、と。

例えば、病気から身を守るよう行動することはできますが、病気にならないという保証はどこにもありません。また、仕事での成功を目指して身を粉にすることもできますが、どこからともなく襲ってきた世界的パンデミックのせいで倒産する、ということだって起こるのです。

また、彼らストア派哲学者が生きていた時代は、人生における厳しい現実が今よりずっと露骨に表れていた頃だったというのも、大事なポイントでしょう。ほとんどのローマ人は戦争に駆り出され、子供の死亡率も高く、疫病も頻繁に発生していました。哲学者たちは明日をも知れぬ身であり、圧倒的な自然の力に比べて人間というものの小ささを思い知らされていました。人間は自らの境遇に影響を与えるのであって制御するのはでない、ということを、恐らく彼らは現代人以上に理解していたでしょう。

自分の境遇が些事であるなら、本当に重要なこととは何でしょうか?

合理的に考えるなら、私たちは制御可能な物事に注意と努力の大半を振り分けるべきでしょう。天気を変えようとするのは無駄なことです。私たちが本当に制御できる、あるいは制御できそうな物事とは、自らの反応や思考、態度です。つまり本当のチャンスとは、私たちの人生における境遇への対処のしかたの中にあるのです。

とはいえ、お金があったほうが良いなどと考えるべきではない、というわけでもないのです。ストア派の哲学者は、些事の中にもある程度の優先順位は存在すると考えていました。例えば、健康や命は病気や死よりも大事であり、富や成功は貧困や失敗よりも大事です。これらは自然な優先順位であり、ほとんどの人が納得のいくものでしょう。

些事の中でも、優先度の低いもの(貧困、病気、死など)よりは高いもの(富、評判、健康など)を促進させたいと思うのは自然なことです。しかし、もし優先度の高い些事と自らの道徳の中心軸とのどちらかを選ばねばならないとしたら、重視すべきなのは自分で本当に制御できるもののほうです。言い換えれば、道徳の指針を失った成功よりも、明確な道徳に沿った汚名の中で生きるほうが望ましいのです。

さて、ここで障害についての話に入りましょう。ラテン語のobstare(妨げる)を語源とするこの単語(英:obstacle=障害)は、私たちが目的地や目的物に届くのを妨げる、内外様々な要因を意味します。今一度強調しておきたいことですが、私たちの時代の特徴として、障害もまた、多くは個人的成功にまつわる文脈の中で語られます。しかし、ストア派哲学者たちにとって、人生におけるモチベーションの中核となったのは、個人的な成功よりも義務のほうでした。自分の人生における義務は何か、他の人に対する責任は何か、社会や共同体に対する責任は何か、私たちはおのおの自分に問いかけねばなりません。ストア派哲学者たちにとって、自己実現は社会生活への参加と分かちがたく結びついているものだったのです。

自分の義務を遂行するにあたっては、様々な障害が起こり得ます。その中には、乗り越えたり避けたりできるものもあるでしょう。しかし重要なのは、障害を乗り越えられるかどうかでなく、自分の中に眠る力を目覚めさせるチャンスとしてその障害を生かせるかどうかなのです。人生に現れる障害はどれも、私たちに自分の中の最良の要素を引き出すことを余儀なくさせます。それらの要素は私たちの中で眠っており、表舞台に出されるのを待っているのです。例えば、気難しい同僚からは忍耐と思いやりを、人間関係のもつれからは穏やかさと共感を、前例がない事態への恐怖からは勇気と自発性を、私たちは引き出すことができるのです。

エピクテトスにこんな言葉があります。「もし魅力的な人に出会ったら、自制心が必要となる。痛みや弱さには気力、罵倒には忍耐が必要となる。時とともに、色々な突発事項に対しておのおの最適な能力を振り向ける習慣が出来てきて、人生の状況におろおろすることもなくなってくる。そうして、物事の局面に圧倒されなくなるだろう」

美徳を伸ばす訓練としての哲学
美徳を伸ばす訓練として、心理学者のドナルド・J・ロバートソンは「ストア派の美徳と道徳規範」という記事の中で、総合的な行動規範を挙げています。これは、ストア派の生き方の核となるプラトンの四か条の美徳をもとにしたものです。

1. 真理を愛し、知恵を求めること(知恵)
2. 他者に対しては正義、公正、優しさをもってふるまうこと(正義)
3. 自分の恐怖を克服し、勇敢であること(勇気)
4. 自分の欲望を克服し、自制心をもって生きること(節制)

この中には、高潔に行動するとはどういうことかが端的にまとめられています。そして、これを見渡してみて分かるのは、私たちの人生におけるどんな境遇も、この四か条に従う妨げにはならない、ということです。自分の職を持ち続けるか失うかは自分の自由になりません。しかし、哲学的訓練で自らを鍛えておけば、正義や勇気、節制に従った選択をするかどうかは、自分で選ぶことができる(少なくとも、できる見込みがある)のです。

合わせて読みたい:(英語記事)

The Stoic Virtues and Code of Honor, Donald Robertson
https://medium.com/stoicism-philosophy-as-a-way-of-life/the-stoic-virtues-and-code-of-honor-2141ceae095f

A Stoic Guide to the Emotions, Gilad Sommer
https://library.acropolis.org/a-stoic-guide-to-our-emotions-pt-1-can-we-trust-our-feelings/

Above All, Be Good – The Story of the Stoics and their Teaching, Gilad Sommer
https://www.amazon.com/Above-All-Be-Good-Teachings/dp/8192019373

エピクテトスの言葉の引用元: “The Art of Living” (Enchiridion) (英語訳:Sharon Label)



元記事URL https://library.acropolis.org/from-obstacle-to-opportunity/

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