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アステカ人の世界

エレナ・ローバー著・長谷川涼子訳

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アステカ人、またはナワトル語で ’aztecatl’ (アストランから来た人々)は、我々にとっていまだその大半が謎に包まれた人々です。その強靭で断固たる人間性、実践的な感覚、そして意志の強さに重きを置く価値観によって、アステカ人はその文化を高度に発展させ、中央アメリカの広大な範囲を支配するに至ったのです。

アステカ帝国は13世紀に勃興し、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を中心とした辺りを支配していました。当時、テノチティトランは世界最大・最重要の都市であり、50万〜100万の人口を抱えていました。これは同時代のパリ(人口7万人)と比較して圧倒的な規模と言えます。巨大な湖に浮かぶテノチティトランは緑のオアシスと呼ばれ、庭園や花々にあふれていました。アステカ人にとって神聖さはとても重要な側面であり、そのことはアステカの街々の中の地理に反映されています。神々を客として地上に迎える目的で、至る所に寺院が設けられました。

神話によると、アステカ人はこの地に定住するまで、ふさわしい土地を求めて157年間さまよったとされています。彼らは、求めていたしるし(サボテンの上からヘビをさらうワシ)を見出し、ようやく定住を決意しました。このシンボルは、今なおメキシコの国旗に見ることができます。

どの文明においても、それ以前にその地にあった文明の一部を自らの知識や伝統に取り込んでいます。アステカ人においても同様で、トルテカ人――さらに謎多き人々――の知識を取り込んでいました。

戦争の神ウィツィロポチトリは主神であり、アステカ人の性格で反映されていました。しかし、彼らの中で戦争は二面性のあるものと理解されていました。一つは我々もよく知る外面の戦争であり、領土や人々を侵略するものです。もう一つは、同じくらい(あるいはもっと)重要な、内面の戦争であり、自分自身への闘いと、物質に対する魂の勝利にまつわるものでした。アステカ人にとって、戦士であることは態度・心構えであり、単なる活動や死や破壊というよりも、むしろ生命に向き合う態度であったのです。そうした戦士は、快適さや遅さといった、発展や前進の妨げとなる悪徳に敵対する存在です。同時に戦士は、勇気、忍耐、自発的前進の友であり、魂の価値の進歩を促す存在なのです。

アステカ人は魂の不死を強く信じており、そのため物質主義に最低限の価値しか置きませんでした。聖なるもの、不可視のものが常により重要とされたのです。このことは同時に、彼らがウィツィロポチトリを主神としていかに深く日常生活に溶け込ませていたかを示すものでもあります。この他の最も重要な二神に、テスカトリポカ(煙を吐く鏡の神)とケツァルコアトル(羽毛の生えた蛇)がいます。

自然、自然の中のしるし、そして夢は、アステカ人自分の人生を導くのに重要な役割を果たしていました。彼らは、その知識の多くを自然そのものから得ていたため、暦の仕組みは高度に発達し、360+5日に分かれた太陽暦のカレンダーと、260日の儀式のカレンダーがありました。アステカ人はその中に、人間が地上で果たすべき役目の明確なビジョンを持っていたのです。

アステカ人は私たちに魅力的な遺産を遺していきましたが、私たちが発見・理解したのはあまりにも少ない部分です。一体どれだけ多くのものが、調査を待ちながら眠っているのでしょうか?

原文URL↓
https://library.acropolis.org/the-world-of-the-aztecs/

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