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古代エジプトにおける哲学

ジュリアン・スコット著・長谷川涼子訳

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一般的には「エジプト人は哲学を持たなかった」「哲学は古代ギリシアが起源である」という見方がなされています。しかし、ターレスやピタゴラス、プラトンを初め、有名なギリシア人哲学者の何人かは、自らの知識と見解のかなりの部分はエジプトの賢人たちのおかげであると認識していました。例えばプラトンは、ヘリオポリスのエジプト神官のもとで13年間学びました。

今日の学者にとって困難な点は、論証的な、つまり今日の我々がイメージしやすい形での、エジプト哲学の記録が皆無であることです。しかし ”Philosophy as a Way of Life(生き方としての哲学)” の著者ピエール・ハドットによると、古代の世界における哲学は、今日考えられているのとは大きく異なる形で見受けられます。彼によれば、古代哲学は二つの様式、つまり生きる方法を学ぶことと死ぬ方法を学ぶことから成り立っています。言い換えれば、一方は非常に実践的なものであり、もう一方は形而上のものでした。その両軸を、エジプト哲学の中に見ることができます。エジプトの「知恵の文学」つまり道徳哲学は「生きる方法」を取り上げるものであり、そして「葬送の教科書」は「死ぬ方法」を扱っているのです。

その一例が、110歳(!)で『宰相プタハへテプの教訓』を著したエジプト人の道徳哲学者プタハヘテプです。ウィル・デュラントによると、プタハヘテプは恐らく世界最初(そしてたぶん最高齢)の哲学者です。

古代エジプト人が道徳哲学の根本としていた原則は、マアトと呼ばれていました。マアトは女神の姿で擬人化され、そのシンボルは羽でした。マアトはコスモス(命の法)の秩序を表す存在です。人間もまたこの法の支配下にあり、私たちは、ギリシャ人がヌースと呼び、エジプト人がバーと呼んだ自分自身のインテリジェンスの命令に従って生きることを学ばねばなりません。

このマアトの原理は、公共の仕事や責任において、慈悲心をともなった強力な道徳をもたらしました。プタハヘテプの以下の記述には、自己修練と見事な謙虚さについて述べられているのが分かります

汝の知識のゆえに傲慢であるな。
学あるものとみずからを頼むな。
学あるものと同じく学なきものにも相談せよ。
技の限界は達成されることはなく、
(完き)技術を獲得せる工人(も)なし。
 ※筑摩書房『古代オリエント集』1978年 p504より引用

古代哲学の二つめの側面(つまり死ぬ方法)について、プラトンは、死ぬための訓練(『パイドン』67e)として、対話の中で一度ならず言及しています。今日、私たちは死について圧倒的にネガティブな態度をとっていますが、明るい光も見ることができます。つまり、真実や美やその他の美徳がよりはっきりと知覚できる不可視の世界へ接触するチャンスなのです。これこそが、ソクラテスの視点でした。

従って、死者の書はまぎれもなくこの世からあの世への旅を扱っていますが、明らかに生者のために書かれた部分もあります。つまり、生きている間に不可視の現実との接触に入るのは可能であり、絶対的な死の運命を待つ必要はないということです。この高位の知恵へ達する過程は、古代では「神秘へのイニシエーション」として知られており、アルギス・ウズダヴィニスの指摘によれば、哲学そのものが「イニシエーションを受けるための神秘とみなされていた」のです。

イニシエートされることは、魂の存在(アクー、鳥に象徴される)として生まれ変わるために、肉体(カット)や個人の自我(アブ)との結びつきを絶って死ぬことです。このように、死者の書は、イニシエーションの試練を通過する方法を哲学者に教えるための、形而上学の本と考えることができます。

ギリシア人がよく知っていたとおり、不死の神性へ至る方法は、テオーリア(観想)だけでなくプラクシス(実践)、各自の人生における秩序と調和の実行、短所や不道徳な部分の改善があります。これにより、自らの心臓はエジプトの象徴においてのマアトの羽のように軽くなります。従って、道徳的生活の重要性は、高位の知恵に至るための不可欠な土台なのです。

この意味で、哲学とは考えることだけではなく、第一に人間の知恵、つまりエジプトにおいて光で表現された真の存在へ向かってゆくことなのです。


原文↓
https://library.acropolis.org/philosophy-in-ancient-egypt/

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