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不可視のものを設計する

クルシュ・ドルジ著・長谷川涼子訳

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現代において、建築家が建物を設計する時、彼らは建物の正式な計画書を提出し、クライアントの承認を求め、それをもとに建設工事が始まります。しかし、クライアントが神もしくは不可視の存在だった場合、どうやって建物を設計するのでしょう?

いにしえの壮大な宮殿や美しい庭園、万巻の書を収めた図書館を差し置いて、聖域は、人類の建築学上の偉業の典型として最もよく取り上げられてきました。恐らく、古代の聖なる建築物への感傷は、人の心をかき立てずにはおかないもので、その壮麗さで我々を圧倒するのです。アンコールワットの遺跡でも、カルナック神殿の壮大な円柱でも、ゴシック様式の寺院の穏やかな静けさでも、これらの傑作の持つ調和の取れた比率、美しさ、配置は、私たちの胸を打ち、驚きを呼び起こして止みません。

聖域の持つ神秘性のもととなっている学問分野は、数学・哲学・芸術・宗教にまたがります。現代と違い、学問の各分野はお互いはっきりと分かれていなかったようで、むしろ根本的に相互に結びついていました。そのため、古代文明においては、宗教的でない芸術はあり得ず、哲学的でない宗教はあり得ず、科学的でない哲学はあり得ず、芸術的でない科学はあり得ないということが見てとれます。

聖域を彩るために捧げられたことが明らかな芸術・建築要素(使用素材、色、象徴)の他にも、隠れた不可視の要素が数多く、聖域を形作るための力になったのです。古代の建築家たちは、彼らの目に映る周囲の自然界から、完璧な調和のモデル、つまり神性の反映の着想を得ていました。彼らは、繰り返しのパターンや黄金比といった自然の幾何学的法則を観察しました。数学ではφで表される、この1:1.618の比率は、自然の中に豊富に見いだせます。アーティチョークの花、オウムガイの殻の部屋、枝の葉の付き方、そして人体の比率も。黄金比それ自体が、単なる調和的比率という機能を超えて、自然と生命をつなぐ哲学的思想を現代の物質的世界へ届ける基礎基本なのです。

たくさんの幾何学的比率、フラクタル、特定の図形を、カルナック神殿、ギザのピラミッド、ギリシャのパルテノン神殿、ハンピのヴィルパークシャ寺院で見ることができます。

位置と方角も、聖なる建造物においては重要な役割を演じていました。「世界軸」つまり天界と現世をつなぐ点という概念は、世界中に見ることができます。この地点は、地上と、天において四方位が交わる地点とをつなぐ場所とみなされました。象徴的な面では、この地点は宇宙のへそ、つまり宇宙の生まれた場所であり中心という役割でした。この中心は、存在のさらなる高み、神の座へ直接通じる焦点であると信じられていました。その場所の選定例は、マチュピチュ(ペルー)や岩のドーム(エルサレム)で見ることができます。

多くの古代文化において、その建築計画は天体の動きにも基づいていました。マチュピチュの太陽の神殿がその例であり、毎年の冬至には太陽光が中央の窓にまで達し、インティワタナという名で知られる儀式用の特別な石をまっすぐ正確に照らすのです。このことは、彼らが天文学に精通していたことと、天体の動きを取り入れる意図的な試みとを明らかに示しています。同じような試みの例が、エジプトのピラミッドやカンボジアのアンコールワットに見られます。エレノア・マンニッカ(ペンシルベニア大学)などの学者の主張によれば、アンコールワットの位置特定のために、太陽と月の時間サイクルの計測さえ用いられていたということです。

他にもいくつもの建築物が、方位に従った特定の位置に建てられました。多くの大聖堂で、聖歌隊は東を向くようになっています。ゾロアスター寺院の至聖所の入口は、いつも東か南にあります。この方位の考え方を別のレベルに持っていくと、古代インドのヴァーストゥ・シャーストラというシステムにたどり着きます。これは、自然の法と星座の位置に従って空間の構図を定めるものです。

恐らく、これらの要素は私たちが調和的で美しいとみなすあらゆるものの中に姿を現すのでしょう。自然から着想を得た比率を使い、光や空間や位置といった要素の配置や建築様式を通して、建築家は聖域を創り上げました。そこは、「微かな振動の周波数」の交信を促進し、神とつながることを可能にする場なのです。アメリカの作家・講師であるジョン・アンソニー・ウェストは、自身のドキュメンタリー ”Magical Egypt – An Invisible Science (魔法のエジプト―不可視の科学)” の中で、こうした振動は平均値であり、芸術が我々の感性を通して訴えかけてくるのはこれのおかげだと主張しています。例えば、音楽は音波を通して発信されるものであり、その音波は、私たちが「感じる」ことのできる曲を創るために、音量・抑揚・強度が用いられています。恐らく、ドイツの偉大な詩人ゲーテが建築を「凍った音楽」と評したのはこのためでしょう。偉大な寺院であれショッピングモールであれ、どの大建築もその振動を通じて自らの意味または無意味を伝えているのです。それらは色や形、比率を通して発信される視覚的な波動であるため、私たちは普通、それを自覚しません。様々な文明の古代人たちは、明らかにその事実に気づいていました。

聖なる建築物の中のこれらの要素を使って、古代の建築家は、自然、つまり生命の神秘的な法に触れ、それを促進する環境を創り出すことを願っていました。

多くの事例において、聖なる複合構造物のデザインは、それ自体が来訪者に変化を促すプロセスを示唆しています。例えば、古代のミーナークシ寺院(マドゥライ)においては、パラクラム(訳注:勇気を必要とする段階)が使われることで、信者は真の自己に気付くために、進化を表す数段階を通ってゆくことが求められます。信者が最後のパラクラムを経てのみ、神殿の最も聖なる部分にたどり着くことができます。その意味でこの儀式は、人間の内なる学びと浄化の反映であり、さらに高い自己を見出すために長く険しい道を行き、現在の自己を後ろに置いてゆくことなのです。

となると、私たちの人生のゴールは進化です。低い自己のエゴによる罠に落ちることなく自らを高めることです。したがって人生は旅であり、その中で私たちは自分自身で選んだ道を、自分自身のペースで行くのです。聖なる建造物の目的は、その道を明らかにし、真実を見出してそこへ向かうのを手助けすることです。したがって、見える要素と見えない要素が合わさることで、調和的な美と、目的を持った建築の驚異が生じます。これは、形状と物質と人間の経験の世界から、生命の永遠の法の神秘に満ちた世界への架け橋の役割を担うのです。

聖なる大建造物がそれぞれ生命の法に従っていたように、私たちも自分自身の人生のそれぞれの側面をそれと連結させて制御したらどうでしょう? もし私たちが自然の法に従って生きれば、私たちの身体も寺院や聖なる乗り物と同じになり、それを通して人間の最高の価値を表明し、悪い考えや感じ方を一切持たなくなるのではないでしょうか?

最後に、現代のスーフィー教神秘主義者、バワ・ムハイヤディーンの言葉を引用しましょう。

「魂は永遠に生きるものであるから、魂のために懸命に美しい家を建てねばならない。時の流れや外の環境に左右されない家である。その家のためには、あなたは技術者であり、建設業者であり、建築家であり、あなたは計画を立て、仕組みを整える。そして、全ての計画が出来上がったとき、あなたは一人でそれを建てねばならない。他の誰も、代わりに建ててやることはできないのだ。」


参考文献

Caldwell, Richard. Healing Spaces: Sacred Geometry, Sacred Architecture and the Magic of Intention. http://www.livingdesignconsultants.com/Healing_Spaces_Caldwell_web.pdf

R.A. Schwaller de Lubicz. The Temple in Man: Sacred Architecture and the Perfect Man. http://fatuma.net/text/R.A.SchwallerdeLubicz-TheTempleinMan-SacredArchitectureandthePerfectMan.pdf

The Institute for Sacred Architecture. http://sacredarchitecture.org/

West, John Anthony. Magical Egypt: An Invisible science. https://www.youtube.com/watch?v=UWnhpn6bY8I/


元記事URL↓
https://library.acropolis.org/architecting-the-invisible/

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