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哲学と神聖さ

ジラッド・ソマー著・長谷川涼子訳

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読者の中には、混乱してこう自問する方もいらっしゃるでしょう。純粋に理性的な分野である哲学と、神聖さとの間に何のつながりがあるのか? 神秘主義は宗教の分野ではないのか?

この誤解は、今日の私たちが哲学の名前を全く異なる二つの物に対して使っているという事実に根ざしています。より厳密には、過去のある時点において、哲学という学問は二つの道に分かれ、今日においてはほとんど全く異なる要素を構成するまでに発達しました。その結果、聖なるものと接触する際、私たちは一体どちらの哲学について話しているのかをはっきりさせる必要が出てきたのです。

一つめの哲学は、本来のものです。言い伝えによれば、イオニア人のピタゴラスが最初のPhilosophos 、つまり知恵を愛する者でした。しかし、本来の哲学のルーツは遥かに古く、またエジプト・メソポタミア・インドなど他の場所にも見出せます。フランス人哲学者のピエール・アドが書いたところによると、この大もとの哲学は「個人の在り方を急激に転換・変形することを目的とした、魂の進化の方法」でした。また、リトアニア人哲学者のアグニス・ウズダヴァニスはこれに加えて、哲学の目的は「宇宙と調和して生き、感覚的経験と推論的な思考からくる制限を超えること、宇宙の秩序と美しさを熟考すること」であり、古代の哲学者は「内なる神聖な光を目覚めさせ、宇宙の聖なる知性に触れようと試みていた」と述べています。

この本来の道は、もともと実践されていた哲学に関連しているため、こちらを「古典的伝統哲学」と呼ぶことにしましょう。より分かりやすくするため、この本来の哲学の実践に言及する際は、「哲学」とカギカッコを付けることとします。

もう一つの種類の哲学は、本流からの小さな逸脱として始まりました。中世のどこかで分岐が起こり、やがてほとんどの人が歩む道へと成長してゆきました。現代の、宗教と切り離された人間主義的価値観に基づき、この哲学は「純粋に」合理的であり、神秘主義を匂わせるあらゆるものから距離を置いています。今日では、哲学を語るとき、ほとんどの人が語っているのはこちらの方です。現代の大学や学術論文において最もよく目にするタイプの哲学がこれです。

この種類の哲学にも独自の魅力がありますが、しばしば行き止まりに突き当たります。つまり、象牙の塔で新しい理論上の現実がひねり出されたところで、それは毎日の生活、自然、その他人間の経験の分野とは何の関係もないのです。

もともと「哲学」は神秘主義と密接に繋がっていました。実際、私たちが宗教と関係付けがちな要素――儀式、祈り、瞑想――は、伝統に従った「哲学」では一般的であり、切り離せないものでした。

「私がナイチンゲールであったら、ナイチンゲールのふるまいをするだろう。白鳥であったら、白鳥のふるまいをするだろう。しかしこの通り、私は理性的な存在であるから、神を讃える歌を歌わねばならない。これが私のふるまいであり、私はこれを成し遂げ、続けるべきとされている間は決して投げ出さない。そして私は、他のあらゆる人々に、同じ歌を共に歌うよう呼びかける」

キリスト教の聖人の言葉に思えますが、実際はストア派哲学で最も有名なエピクテトス(語録、1.16.20-21)の言葉です。ストア派は現代の西洋ではとても人気になりましたが、文字通り神秘的要素を除く、つまり現代の考え方に沿うようにする過程で、その側面のいくつかが都合よく無視されてきたのです。

哲学が神聖さと繋がりを持っていないなら、なぜストア派のような理性的で論理的な哲学が「神を讃える歌」に言及するのでしょう? そして、これは特殊な例外ではありません。最初期のアテネのストア派はさらに宗教的な考え方をしており、クレアンテスの「ゼウスへの祈り」はそれを証明するものです。その上、ストア派は、「哲学」の中でも比較的後に生まれたものです。創立者であるキティオンのゼノンは紀元前300年頃にアテネで哲学を教え始めましたが、彼が頼る哲学の伝統はすでに300年の歴史を持っていました。そしてこの伝統は、現代の文脈で語られる、宗教色と無縁で合理主義的なものでは到底なかったのです。

「ソクラテス以前の哲学者」と呼ばれる最初期の哲学者たちは、多くが旅する神秘主義者や詩人であり、難解で象徴的・神秘主義的な言葉を話し、現代の学者からは過剰に文字通りに取られがちです。彼らの筆頭はミレトスのターレスで、万物の根源は水であるという理論を唱え、今日では現代に通じる最初の物理学者とされています。しかし、その同じ物理学者が「万物は神で満ちている」「岩には魂がある」と述べているのです。唯物論者の言葉とは言えません。もちろん、今の学者たちは、現代の宗教と距離を置く考え方に沿う要素を称賛し、不都合な要素は理論的な研究へ一歩を踏み出したばかりの科学者による許容範囲内の誤差とみなされるのです。

恐らく、最も優れた哲学者兼神秘主義者はプラトンだったでしょう。彼の対話は神々、聖職者、神託、神話に満ちています。その対話全体に散りばめられた非理性的な(あるいは超理性的な?)たくさんの要素に関わらず、彼がその名声を保ち続けているのは驚くべきことです。さらにプラトンは、対話を書いただけではありませんでした。書かれていない教えを受けたと彼の支持者たちが述べ、この教えは主にプロティノス、イアンブリコス、プロクロスなどで知られるネオプラトニズムによって実現されました。そして、もし私たちが彼らの教えからプラトンの書かれていない教えを見出すことができたなら、この教えは恐らく書かれたものよりさらにスピリチュアルな内容のはずです。

プロティノスは東洋の神秘主義者のように読めます。彼は常に、合理的な心の限界を乗り越えるよう、そして彼が「一なるもの」「善きもの」と呼ぶ内なる神へと私たちの意識を高めるよう、私たちを戒めています。新プラトン主義の第二の創始者とよく言われるイアンブリコスは「神働術」(神の働き)という哲学体系を考え出しました。イアンブリコス、その後にはプロクロスによると、哲学者は特定の儀式と祈りを通して神に近づき、至高の存在(プロティヌスの一なるもの)から人間の最下層まで切れ目なく続く存在の鎖の中に自らを見出すことができるのです。

見ての通り、1000年に渡る中世以前の時代において、「哲学」は神秘主義と密接に繋がってきました。中世において、哲学は宗教の教条に乗っ取られ、哲学者は自らが発言、思考、筆記できる事が制限されていました。「哲学」は固定観念を信じるための理論の正当化の道具になりました。しかし、地下に潜ったごく少数の「哲学者」は、錬金術などの様々な形をとって「哲学」の古い道をたどりました。中世以降、キリスト教の権威失墜にともなって、学術界は枷からの脱出を試み、宗教色のあるどんなことでもを脱ぎ捨てようとしました。宗教は、人類の知性の発達における原初の段階と見なされたのです。中道を貫くことは大変に困難であり、学術界はあっという間に新しい鎖で自らを縛りました。唯物論の実証主義です。この時ようやく、哲学と「哲学」が最終的に分かれたことが明らかになりました。哲学が純粋に合理的・理論的になった一方で、「哲学」は少数派の実践であり続けました。

しかしながら、はっきりさせておかねばなりません。「哲学」と神聖さが常に密接に関わっているといっても、読者の側は「哲学」が現代的なニュアンスでの宗教であるという誤解を持ってはいけません。宗教とは形を明確にした崇拝であり、特に歴史の中で現れたユダヤ教、イスラム教、神道、ミトラ教などがそうです。通常、こうした宗教の形式はたくさんの要素を蓄積しますが、悲しいことにその多くは神というより人間の要素です。それらは外部の権威への信仰に根ざすことが多く、幾度も幾度も便利さや因習に取って代わられました。さらに、信仰に厚い人々は、他の宗教を信じる人々に対して偏見を持つことで知られています。ヘレナ・ブラヴァツキーが書いたように、しばしば「自らの宗教を心から信ずる者は、他のあらゆる人の宗教を嘘とみなし、同じ真心で忌み嫌う」のです。

哲学者は、自分の選んだどの宗教を実践するのも自由です。が、「哲学」において、外部からの救済や赦しはあり得ません。教えや手本を他者から受けることはできますが、自身の努力以外には、いかなる人も神もあなたを救うことはできないのです。さらに、「哲学」は、信念や国家の教条にとらわれず、真実を見出せそうなあらゆる場所で真実を探し求めます。知恵への愛としての「哲学」は、あらゆる外見を超えた連帯を追い求めます。知恵、あるいは真実は、どの特定の宗教に属するものでもないからです。

結論を言うと、私たちがこれまで教わり信じてきたこととは逆に、神秘主義と神聖さは原始的な要素ではなく、知性的などの哲学とも切り離せないものです。これらは人類の存在には欠かせない要素です。優れた宗教史家のミルチャ・エリアーデは「神聖さは、意識の構造のひとつの要素であり、意識にまつわる歴史の一側面ではない」と述べています。そのおおもとの形において、「哲学」は生命の神秘へ至る道であり、高次元の信条、神、宇宙、その他の名前で呼ばれるものの直観へ近づくための道とされました。したがって「哲学」と神聖さは、考えられているほど離れてはいません。それらは、統一された人間の経験の二つの側面なのです。


元記事URL↓
https://library.acropolis.org/philosophy-and-the-sacred/

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