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達成への鍵

カルロス・アデランタード著・長谷川涼子訳

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最初に、いわゆる「成功 (success)」と、真の「達成 (triumph)」とみなすべきものを区別すべきでしょう。

成功は、私たちが巻き込まれた出来事、または特定の目的に達するための行動からくる喜びを通じてもたら
されます。しかし、何かを成功裡に行うことは、達成を意味しません。

実のところ、私たちの存在すべては勝利と敗北、つまり、私たちの意識領域へ交互に現れたり消えたりする
、成功や失敗と呼ばれるものから成り立っています。ある程度成長した人間は誰しも、その人生の中でこの2
種類の経験を味わうのだということをを認識し、受け入れることができます。

達成とはもっと複雑なことです。達成は単純な物事の中ではなく、もっと大きな困難を乗り越えてより高い
目標に達する道にあるものです。そして、だからこそ達成は、人が到達できる最高の善である人生と繋がっ
ているのです。これを要約すると、人間の大きな目標「人生における達成」と言えるでしょう。

とはいえ、人生における達成とは何を意味するのでしょうか? これについて私たちは、ありとあらゆる種
類のとんでもない数の物の所有だったり、努力ひとつぜずに幸せに近づけてくれるある種の快楽だったりを
イメージしがちです。

私はこれには不賛成です。それどころか、哲学者の視点で見れば、これは人間の考えるうちでもっとも純粋
で高貴なものを獲得することについての話であり、そして……皆さん、魂の持つ夢ほど純粋なものがあるで
しょうか? 人生の秘訣を発見することより良いことがありますか? ほとんどの人は、子どもの頃はもっ
とも純粋な夢を持っていました。普通の人間になりたがる子はおらず、ある者は冒険に満ちた人生を愛し、
誰かを助けたがり、また不正義や無関心に立ち向かいたがります。ふさわしい年齢になれば、花が開いて陽
の光を求め、私たちはもっとも高い山に登り、もっとも美しい谷を見出したがるのです。

なぜ、それを全て放棄する必要があるのでしょう? 人生における達成は、私たちの若い理想を裏切るもの
ではなく、偽りの世界の幻影を追いかけるものではないと思われます。なぜなら、そのような幻影は、私た
ちの手が届いた途端に、一握りの砂のように手からこぼれ落ちてしまうからです。

恐らく、達成とは私たちの中に存在していて、失敗や苦痛、努力にもかかわらず私たちが夢を追うときの力
として表れ出るのでしょう。恐らく、達成とは、私たちの道をふさぐ倒木を越えること、地平に向かって遠
くへ遠くへ前進し続けることを意味するのでしょう。

達成への鍵を見出すために、私たちは勇敢であり、何を求めた方がいいかを知らねばなりません。大胆で、
意欲的、それも正しく強く意欲的でなければなりません。なぜなら、その鍵は私たちの中にあるためです。
従って、その鍵を見出せるかどうかは私たち自身にかかっており、まだ見ぬ道を旅する勇気にかかっており
、人間のみじめさに打ちのめされることのない求め方にかかっているのです。

私たちは、不機嫌や抑えきれない神経過敏と一切関係ない緊張を、健康的な状態に保つ必要があります。こ
れは、いつでも、どんな時でも、注意力の自然な状態を見出すことと関係があるものです。この緊張は、私
たちが人生における機会を見つけ、それを得られるよう、注意をうながし続けてくれるものです。

もし注意を払っていれば、人生が複数のドアの道を示してくれるのに気づくでしょう。そして、どのドアに
も鍵があります。達成への鍵は、私たちの中にあるのです。

元記事URL
https://library.acropolis.org/the-key-to-triumph/

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