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エトルリア人――聖なるものの守護者

アゴスティーノ・ドミニキ著、長谷川涼子訳

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エトルリア人の起源は、彼らの聖なる知識、言語、伝統とともに、今も一部が謎に包まれています。古の時代においてさえ、この不可解な文明がどこから来たのかは疑問の種でした。例えばヘロドトスは、大飢饉の時期に古代リディアの人々が肥沃なイタリア半島に移民し、それがエトルリア文明につながったのだと主張しました。しかし、アウグストゥスの治世(紀元前27年〜紀元14年)までには、ハリカルナッソスのディオニソスがこの定説に反論しています。彼によればエトルリア人はリディアとは無関係であり、実際はイタリアに元々住んでいた人々でした。ここ50年以上に及ぶ現代の考古学調査はこの説を裏付けているようで、この説は今日では最も広く支持されています。もちろん、これは特に芸術と宗教の分野で何世紀にもわたってエトルリア人に影響してきた東洋文化を度外視しているわけではありません。

紀元前20世紀代にはすでに、目的を持って精密に空を観測し、複雑な儀式を行った人々(リナルドネ文化)がエトルリアの地に住んでいました。これは、トスカーナのポッジョ・ロータの巨石寺院(およそ紀元前2300年)を建てた人々が、エトルリア人の直接の(あるいは、少なくとも間接的な)文化的祖先であることを示唆しています。

深い神秘と魔術の知識に満ちた人々エトルリア人は、ローマ文明に大きな影響を与えました(ローマの7人の王の2人はエトルリア出身です)。ローマに起源があると考えられてきた伝統には、実はエトルリアの知識によるものが多くあります。例を挙げれば、姓と名の両方を持つこと、碁盤の目のような都市構成(ヒッポダモスの都市計画として知られる)、建物や壁に広く見られるアーチ式構造もそうですし、さらに有名な剣闘士の闘いは、もとはエトルリアの葬儀の一部でした。

早くも紀元前9世紀には、エトルリア人は12の都市国家の連合を築くほどに組織化されていました。これは大宇宙と小宇宙の調和を反映しており、特に太陽の象徴とつながっていました。これらの都市は Lucumo と呼ばれる神官の王が支配しており、この王を補佐するのは賢人からなる議会でしたが、これは後に発達して法務官(ローマのプラエトルに似たもの)の中心をなし、貴族的な支配階級を形成しました。今なお残る高い壁で囲われたこれらの都市は、呪術・宗教的な方式に従って細心の注意で作られていますが、これは他ならぬローマ設立についての研究で裏付けられました。特定の土地を選ぶにあたっては、地磁気と地理だけでなく、念入りな都市計画も考慮されました。都市は、中心となる2本の方角(南北を表す cardo 、東西を表す decumanus )に沿って全ての道を整列させた計画にのっとって作られました。

エトルリアの宗教は、古代ギリシャとラテンの儀式や象徴にエトルリア独自の神々が混合したものです。エトルリア人にとって、あらゆる人間の命には神聖なものが充満し、影響していました。地上、神々の天上界、そして地下世界で起こったことは常に関連していました。特に興味深いのは、神々とのつながりについてのエトルリア人の考えです。ローマ人と異なり、このつながりは完全に運命に支配されていると考えられていました。ローマ人にとって、神々とのつながりは相互の尊重と交流に則っていました。エトルリア人にとって、人間は神々に逆らう力を持たず、完全に従属すべき存在でした。この特徴的な宗教的世界観から、エトルリアの儀式の実践が様々な占いや予言の技術への深い理解を反映している理由が読み取れます。

エトルスキ教典は、エトルリア宗教の聖なる教義の集成であり、複雑な予言術で人間と神の関係を規定するものでした。例えば、臓卜はいけにえの動物の内臓、特に肝臓を通して予兆を解釈するものです。雷卜は雷やその他の自然現象が明かす前触れを読むものです。鳥卜は鳥の飛び方を観察して神の意志を見分けるものです。加えて、夢占いも広く行われており、のちにシビュラと称される女性の予言者 vegoie も大勢いました。その他の特徴的な要素として、魔法の鏡が広く使われ、隠れた真実や神の伝言を明らかにするとされていました。

この文脈に沿って、最も謎めいて魅力的な存在は、エトルリアの宗教儀式全体を作り上げたタゲスです。彼は異世界に由来する姿と知恵を持つ神童とされ、人間を導くために土の塊の中から奇跡のように現れました。彼が土から生まれたことは、自然、土の聖性、そしてエトルリアの僧王たちが毎年訪れていた伝説の魔法の森との、エトルリア人の深い結びつきを反映しています。

今も残るエトルリアの碑文の大半は埋葬に関するものであり、死と来世の問題にどれだけ配慮がなされてきたかを示しています。「宿命の書」の中には、人間の命と国の命運のどちらにも待ち受ける、避けられない終わりについて述べられた箇所があります。彼らの来世感は複雑で、慈悲深い神と悪意ある神がどちらも住んでおり、それを理解して身を守る必要があります。ここには古代エジプトの習慣と相似するものが多くあります。エトルリアの墓は本物の家に似せて作られ、死者は生前愛した物とともに葬られます。地下世界とは、正しく渡り歩き、適切に馴染むために、きちんと理解する必要のある領域です。アケルの書にも同様の記述がありますが、死者の書の中には、葬儀の説明と、何の保証もない魂の旅を死者が安全に成し遂げるための実践の手引きが載っていました。これらの儀式の実践は、おそらく聖職者の学校や密儀の中に限られた、秘密の知識の集積だったのでしょう。

様々な名で呼ばれる、謎に満ちた「地下の(つまり、目に見えない)」領域である別次元への門となる古代の難解な伝統は、エトルリア人が姿を消したことに関しては、全く何も語ってはくれません。よく知られたシャンバラとアガルタの伝説は、特にこれらの伝統と関係しています。エトルリア人の伝説的な面と彼らの消滅もまた、謎めいた「門」、あるいは聖域と関連しています。例えば、ファヌム・ウォルトゥムネと、古代に「聖なる鏡」として知られたボルセーナ湖が挙げられます。ファヌム・ウォルトゥムネは都市連合の聖地で、エトルリアの力の最も聖なる中心であり、最も重要なエトルリアの神、自然と王の権威の象徴である無性の神ウォルトゥムナの予言の中心でした。

伝説的な要素はしばしば隠された真実を覆っているものではありますが、そこからいったん離れて、エトルリア人がどうやって「消滅」したのかという疑問の答えはシンプルな事実の中にあります。ローマの拡大とともに、少しずつ同化していったのです。ローマ人は征服した都市を内部に取り込む傾向があり、土着の習慣や管理体制がそのまま残されることはよくありました。実際、ローマのエトルリア征服から何世紀もの間、エトルリア人は目覚ましい水準の自治を保っていました。紀元1世紀にいたるまで、エトルリア人はその文化的・宗教的な知恵を生かして活発にローマ社会で活動し、ローマ社会を支えていました。そうすることで、彼らはのちに地中海世界の中心をなす、重要で神聖な土台になったのです。

元記事URL↓
https://library.acropolis.org/the-etruscans-guardians-of-the-sacred/

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