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ジョーゼフ・キャンベルと『神話の力』

ミハ・コシル著・長谷川涼子訳

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ジョーゼフ・キャンベルは、比較神話学・比較宗教学の分野で世界的に有名な作家でした。1988年に亡くなる直前、彼はビル・モイヤーズのインタビューを受けました。映画監督ジョージ・ルーカスの牧場を舞台に行われたこのインタビューは、テレビ番組「神話の力」のためのものであり、神話学の本質と作用、そして今日の時代とのかかわりについての議論がなされました。恐らく、キャンベルの最もよく知られた業績といえば『千の顔を持つ英雄』でしょう。この本の中でキャンベルは、世界中の無数の神話における英雄たちの旅の普遍性について述べています。そしてさらに、人間の成長における神話の重要性と力についても明らかにしているのです。

最初の問題は「なぜ神話なのか?」です。神話は、私たちの人生を現実と調和させるのに有効です。そうした物語によって、私たち人間が共通して持っているものが明らかになります。神話は、私たちがあらゆる時代を通じて行ってきた真実への追究を表現しています。「神話は、人間生活の精神的な可能性を探るかぎです。」(ジョーゼフ・キャンベル、『神話の力』)神話は、自分の内面に向かい、様々な象徴を読み解くための手助けとなります。従って、神話は私たちの内なる声を語るのです。神話のメッセージは「深淵の底から救いの声が聞こえてくる……最も暗い時にこそ光がやってくる」(『神話の力』)というものです。

神話が語るのは、私たちの中のどこかとても深遠な部分、それ自体が謎であり、明らかになるには時間のかかる部分のことです。私たちの目に入るのは象徴ですが、象徴は言葉や絵を超越した深い何かを表しています。その何かとは、私たちが体験しようと試みているもの……言葉で言い表せない体験なのです。それは様々な伝統や文化において、神と呼ばれています。ですが、あらゆるものを満たすこの聖なる要素を深く体験することを抜きにしては、それはただの単語にすぎません。『神話の力』には、「真理はひとつである。賢者はこれを多くの名前で呼ぶ」とあります。賢者たちは、私たちの内なる謎、内なる命、永遠の命について語っているのです。歳とってなお自らの内面の命の何たるかを知らない人は、そのことをきっと悔いるだろうと、キャンベルははっきり述べています。

神話学における英雄譚にはたくさんの戦いや冒険が出てきます。が、英雄の旅の究極の目的とは、暗い衝動を乗り越えることです。自分の中の無分別で獰猛な人格を制御することなのです。そして、現実においては、その旅に終わりはありません。自分自身を救済すること、あるいはこの世界における苦痛や問題から逃れることなどは、旅の終わりを意味しません。なぜならこの旅は、他の人々に奉仕するための知恵と力を求めるものだからです。

自らの神話学や儀式とのつながりを失った社会は、暴力的で破壊的な若者たちに支配をゆだねるようになります。そこには、若者たちを「共同体」の一員として迎え入れるための儀式もなく、したがって彼らは、自分たちのルールや入団テストなどの掟に沿ってギャング化し、自分たちの立場を定義づけてゆくのです。

従って、神話とは、精神的な目覚めをもたらす助けになるものと言えます。神話は、「人間生活を支えてきたいろいろなテーマとかかわっていますし、文明を築いてきましたし、ここ数千年の多くの宗教に生命を吹き込んできました。」(『神話の力』)神話は内なる経験からくる情報の宝庫であり、人生における内なる問題・内なる謎・内なる出発点の、深い部分と関係しているのです。神話は、言葉による象徴の形をとって、私たちの最奥部とつながっています。そして、私たちが真の自己を回復する旅を成し遂げるまで、神話はその究極の原型構造を通して、私たちに寄り添い続けるのです。私たちが自分を勇気づけてくれる英雄を求めるのはそのためです。旅に出た英雄たちが、自分自身の努力を通して勝利を得るためです。解決方法は私たちの中にあります。「科学技術はわれわれを救いはしない……現代のコンピュータ、機械器具、そんなものは十分ではない。われわれは自分の直観に、自分の真の存在に頼らなければならない」(ジョーゼフ・キャンベル、『神話の力』)のです。

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