2020年1月1日、初日の出を拝んだ後、書初めをしました。
書初めについて。その起源について簡単に歴史にふれておきます。
書初めは、平安時代の宮中の行事が始まりだったようです。江戸時代には、寺子屋の普及によって、一部の庶民にも広がりました。明治時代から義務教育で書道の教育とともに書初めも広がりました。小学校の授業で習字の時間があったと思います(現在もありますよね?)。
書初めは、昔の風習では「正月の朝に初めて汲んだ水で墨を摺り、新年の恵方*の方向に向かって詩歌を書く」というものでした。(*正月の歳神の来臨する方角。陰陽による歳徳神、恵方神がいる、祟り神のめぐってこない最も良い方向)
そして、なぜ書初めをしたかというと、主に二つの意味があります。
1、一年の抱負や目標を定める。
2、字の上達を祈る(一月に神社やお寺で、どんど焼きという火祭りがありますが、そこで書初めを燃やし、その炎が高く上がると字が上達すると言われています)。
現在、書初めの習慣は失われつつありますが、
ニューアクロポリスでは、日本の伝統、古人の精神を思い、書初めをしました。
参加者の声を紹介しながらお伝えします。
「私は、『一期一会』(茶道に由来する日本の四文字熟語。一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する)が好きですが、今年は違う言葉を書きたい気持ちになりました。
静かにこころを落ち着かせて、選んだのは『流』という文字です。流行に流される、という意味ではなく、流れるための今ある障害物をとりのぞく。新しい障害物をつくらない。と理解しています。
そして、この考えを伝えるために草書体で書きました。読みにくいですが、わずかの画数で美しい流れがあり、一画で書きました。書いている時の心の持ち方は、集中のため雑念を省きました。そして漢字の綺麗な形を目指しました。書いている時は時間の感覚がなくなりました。
筆の持ち運び、書いた字は、こころを映すと感じます。姿勢を整え、背すじを真直ぐに、そして深呼吸する...これはちょうど禅の瞑想のようです。
こころの調和が、文字にも映る、書道は自分を客観的に知る機会にもなる。技術だけでなく自分が成長できる、と感じました。」
書道と禅の共通点の話はとても興味深いですね。両者とも中国由来で、書道の美的表現、歴史についても、もっと知りたいと思いました。
皆、思い思いに、自分の感性で書初めをしました。時間は二時間ほど。静かに集中したひと時でした。
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